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「「少年会館」と呼ばれていた建物」

「「少年会館」と呼ばれていた建物」

「「少年会館」と呼ばれていた建物」

 那覇市久茂地公民館は、1966年、後に初の公選主席となり初代県知事となった屋良朝苗氏を会長とする「沖縄子どもを守る会」により、「沖縄少年会館」として建設された。建設時の設計者は宮里栄一氏。設計者の思いの感じられるモダンな外観と、ゆったりとした螺旋階段でつながる各階の機能的で独特な空間構成は、懐かしくも新鮮な印象を受ける。
改修工事や再生工事を幾度も繰り返してきた現在の建物の機能とは多少異なるが、完成した当時から様々な機能が備わっていた。本島北部や離島からの修学旅行生全員を一度に収容できる宿泊室とその浴室、百人以上収容可能なプラネタリウム、天体観測室、科学展示室、図書館、食堂など、当時としては規模や設備の面で、県内で最も進んだ教育施設であったという。また、当時、子どもの事故や犯罪がとても多かったという米施政権下の沖縄において、社会的に必要とされていた青少年健全育成の場として立派に機能していたことが関係者の話からも分かる。
その後、市民から「少年会館」と呼ばれ親しまれていたこの建物は、社会情勢の変化に伴い、1978年に「沖縄子どもを守る会」から那覇市へ移管され、名称も「沖縄少年会館」から「久茂地公民館」へと変わった。そして今年で41年目を迎える現在では、「図書館」と「児童館」も建物内に並存された複合的な公共施設として、地域市民やファンから親しまれ続けている。
以前に、久茂地公民館の現職員であり、この建物について或る地域情報誌で特集を組んだ人物でもあるH氏の協力を得て、建設当時の図面や改修工事の際の図面、その関係資料を特別に見せていただいたことがある。少し線や文字が薄れて見えにくくなってはいたが、当時の手描きの青焼き図面から、建設や運営に関わってきた人々の思いが伝わってくるようであった。
「開館から41年たったことにより、建物の古さは隠すことはできないが、開館当時の子どもたちがより良い環境で育つようにという思いを形として現した建物であり、今後もこの建物の行方を見守っていきたい」
H氏は、お気に入りの場所という螺旋階段のみえるホワイエへと案内してくれ、そこで熱っぽく話してくれた。「あ、今度の日曜日には、七階のプラネタリウムの上映にも是非足を運んでください」とも。
ある日曜日の午後。久茂地公民館7階。元小学校教員で、三代目にあたる操作技師I氏の丁寧で心温まるナレーションにより、星の動きや季節の星座の物語についての約1時間のショーが始まった。どこか懐かしげな音楽もかかるなか、国産としては最も歴史があるという投影機の魅惑的な動きを感じつつ、天体の複雑な動きが、吸い込まれそうなプラネタリウムドームの夜空に見事に投影されていく・・・。
観終って、螺旋階段をゆっくり下り玄関から出る。それから少し歩いて屋上の白っぽいドームが特徴的なその建物を見返してみる。星空に浮かぶ無数の星座の物語とも似た、建物を通じた無数の人々の連なりの物語が浮かんでくるようであった。(T)

 

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