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「コザ・ゲート通りの音楽文化」

「コザ・ゲート通りの音楽文化」

「コザ・ゲート通りの音楽文化」

 沖縄市胡屋十字路から嘉手納基地ゲート前までの通りのことを、通称「ゲート通り」いう。戦後、嘉手納基地の門前町としても栄えてきた沖縄市のなかでも、特にオキナワンロックのシンボル的な通りだと言われている。
ゲート通りとその周辺には、現在も、米軍人・軍属のほか、地元民や観光客がよく通うライブハウスやミュージックバーに、ディスコクラブといった音に関係するお店が数多く点在する。ライブハウスでの演奏のジャンルは、戦後のオキナワンロックを中心に、ジャズ、レゲエ、ラテンなどと幅広い。また、そこで演奏するミュージシャンを支える楽器屋、音楽スタジオ、音楽事務所なども多くあり、音楽関係者の層の厚さを物語っている。
また、ゲート通り周辺には、そういった、いわゆる国際的なお店だけではなく、沖縄民謡(島唄)が演奏されるスナックや三線専門店などの民俗芸能関係のお店も多い。沖縄民謡の優れた歌い手や作曲者とともに、多くのロックミュージシャンを輩出してきた素地をこのあたりにも確認することができる。
現在、そのゲート通りの入口ともいえる胡屋十字路の角地に、ある振興事業のなかで生まれた構想のもと、音楽ホール、音楽スタジオ、音楽広場で構成される公益施設「音市場」を中核に、商業テナント、居住スペース、駐車場等も併設された複合施設「コザ・ミュージックタウン」の整備が進んでいる。音楽・芸能・観光関係の人材育成事業とも連動し、来年夏の完成を目指しているという。
基地と共存しつつ、アメリカ文化をしたたかに取り込んできたコザのチャンプルーな音楽文化に、新たな情報発信の拠点が加わることになるのだろう。
以前、関係者の紹介で、いくつかのライブハウスへ足を運んだことがある。観客の半数を外国人が占めるなか、ロックの魅惑的な旋律が響きあう空間は刺激的であり、アルコールとともに心地よい音の酔いを体感したことを覚えている。コザの街が歩んできた詳しい歴史は分からないが、その時に聴いた力強い音楽からは、コザのミュージシャンやその関係者がアメリカ文化を取り込みつつも、個々のオリジナルを追い求めてきた葛藤の歴史があるのだろうとも想像できた。コザのチャンプルーな音楽文化といえば、聞こえはいいが、生活と夢をかけてきた人間模様の産物ともいえるのだろう。
ところで、「コザ・ミュージックタウン」の計画とあわせて、歩道空間を活用した「オープンカフェ」の計画も進んでいる。ストリート演奏などを誘発させる魅力的な歩道空間とするための仕掛けを施した開放型の道路活用計画としては、全国でも初の試みだという。現在、国・県・市の関係者、景観形成に詳しい学識経験者、沖縄市の音楽・芸能・観光関係者や地元通り会など、そして地元建築士会の積極的な協力のもとに調査や会議が続いている。最近、基本計画が仕上がったそうである。計画によれば、道路拡張工事にあわせて、現在交差点にかかる大きな歩道橋を撤去し、安全性を考慮したスクランブル交差点もできるらしく、より個性的で魅力ある景観となるのではないかと期待している。
完成した暁には、音市場やオープンカフェから漏れてくる音を楽しみつつ、歩道やスクランブル交差点を行きかう歩行者を眺めながら、コザ独特の音楽文化について改めて思いを巡らしてみたい。(T)

 

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