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「サヴォア邸とピロティ住宅」

「サヴォア邸とピロティ住宅」

「サヴォア邸とピロティ住宅」

 ピロティとは、元来はフランス語で建物などを支える杭の意味で、現在では、柱や壁の上にのせた建物下の地上階を自由に通り抜けられるようにした空間のことを指す。また、フランスの有名な建築家ル=コルビジェ(1887~1965)が提唱した「近代建築の5原則」のひとつでもある。
一昨年の冬ごろ、その「近代建築の5原則」を具現化したというサヴォア邸を訪れる機会を得た。
サヴォア邸は、一般の人にとってはなじみのない建物であるが、建築系の教科書には必ず載っているくらい有名で、建築やデザインをかじった者にとっては、一度は行ってみたいと思わせる建物である。パリ近郊の静かな街、ポワッシーにひっそりと佇んでいて、一般公開されているためか、ヨーロッパ人のほか、アメリカ人、韓国人、インド人、そして日本人など、私を含めてその時の見学者数は予想以上に多かった。受付での過去の訪問者リストに記されている職業欄をみると、そのほとんどは、建築やデザインの関係者であるようだ。
サヴォア邸を実際に訪れてみると、やはり感慨深いものがあった。連続する横長窓のある浮いたような2階部分、それを支えるように並ぶ軽快な細い柱のある半屋外のピロティ。内部には、周辺の景色が見渡せる外壁の横長窓と、部屋の要所々々にトップライトが設置され、設計者が意図していた通り、住宅内部には光があふれている。
20世紀に入ったころから、ヨーロッパでは工業化の進展とともに、建築の分野でも鉄筋コンクリート造や鉄骨造などの近代技術が普及して、より合理的な建築の形態が模索されていた。サヴォア邸は、その時流のなかで、ひときわ注目され、その後も近代建築の代表作として世界に紹介され続けている。
そういえば、サヴォア邸が竣工したのは1931年で、沖縄県の公共建築物としては初の鉄筋コンクリート造の建物といわれる「旧大宜味村役場庁舎」は、その6年前の1925年に竣工している。こちらは、さすがにピロティを用いてはいないが、現在でも立派に公共施設として使用されており、サヴォア邸と同様に、建物そのものが建設当時の記憶と建設後の歴史を伝えてくれる。
ところで現在の沖縄県には、他府県に比べ、1階部分を駐車場とした鉄筋コンクリート造のピロティ住宅(下駄履き住宅ともいう)が多い。車社会であることと、将来増築する際に壁の設置が容易だということなどが主な理由だと考えられる。また見方によっては、水害や湿気、ハブや虫の類を避けるために建てられたであろう、昔の高床式住居や倉の延長線上にあるようにも感じる。
そんな沖縄の街で、2階部分が浮いたようにみえる典型的なピロティ住宅を目にすると、一昨年に訪れたサヴォア邸を時に想い出すのである。(T)

 

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