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「奥共同店への小旅行」

「奥共同店への小旅行」

「奥共同店への小旅行」

 疲労がたまっていたのか、季節の変わり目にこじらせた風邪が長引いてしまった。それがようやく全快したころ、気分転換も兼ね、週末を利用して国頭村奥の共同店(共同売店)へと、ひとり足を運んだ。学生の頃、地域研究のゼミか何かで、共同店の仕組みについて少し調べたことがあり、それ以来その発祥の地である奥へは、一度ゆっくり訪ねてみたかったというのが一応の理由。
遅い朝食を済ませ、浦添の事務所を出発して沖縄自動車道に入る。名護の許田インターチェンジを出てからは、ここ数年で更に増えたであろう大型量販店やコンビニエンスストアを横目に、国道58号 線沿いを、ひたすら北へと向かった。
国頭村に入ったことに気づいたのは、海辺沿いの景観が変わってきたころであった。そこから更にいくつかのトンネルを潜り抜けてしばらく進むと、奥川と瓦屋根集落との調和が見事な山間の奥部落にたどり着いた。
「奥共同店」はすぐに見つかり、特に買いたいものがあるわけではないが、早速店内に入り、様々な商品が並ぶ店内を歩いてみた。聞こえてくる周辺住民の何気ない日常会話や、店先に置かれたテーブルイスに座る親子の姿に、一見さんの私にも地域密着の交流の場を感じることができて妙に嬉しかった。この奥共同店は、1906年、奥で雑貨商を営んでいた糸満盛邦氏(絵の右下が彼の碑)が、奥の将来のためにと、自らの雑貨店を奥の人々に譲ったことで創立された。なんと来年で百周年をむかえるという。
ところで、一般に沖縄の共同店は、地域住民が出資して運営するという、相互扶助と自主運営の共同体の在り方のひとつとみることができる。また地域研究の対象としては一九七十年代から注目されはじめ、これまで多くの研究成果が積み重ねられてきたという。ただ、現状では、過疎化と高齢化、そして開発などの影響により、様々な問題を抱えているようだ。
例をあげれば、村落行事への寄付や株主配当などといった利益還元を行う経営の安定した共同店がある一方、配送コストの問題や、その他諸々の要因から存続が非常に厳しい状況の共同店があるという。以前、ある民謡酒場で偶然知り合った「共同売店ファンクラブ」の代表の方が、共同店の存続のあり方を熱心に話してくれた。店が無くなって一番困るのは、遠くの店まで買い物に行くことの困難な、お年寄りたちなのです・・・。
その後、奥の集落をゆっくり散策し、奥共同店近くにある交流館内で展示に魅入ってしまったため、すっかり陽が暮れ、霧が立ち込めてきた。また風邪をぶり返さぬよう、冷え込む前に車に飛び乗る。
帰りは東海岸ルート。やんばるの森のなかを通る県道70号線。フロントガラスを覆う細かい水滴をワイパーで払いつつ車を走らせるが、電灯がほとんどないこともあり視界が非常に狭い。用心しつつひたすら南への運転中、集会所を併設している県道沿いの共同店を通り過ぎた。横目で見ただけであったが、楽しげに談笑していた人々の光景が、共同店の柔らかな明かりとともに温かな記憶のひとつとなった。(T)

 

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