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「家の記憶」

「家の記憶」

「家の記憶」

 住設計の仕事では、依頼を受ける際、依頼主が実際に住んでいる家や土地をみさせていただくことがよくあります。家具や設備などの個数や種類、依頼主の趣味や生活感などの具体的な確認のほか、それまで「その家のなかで蓄積されてきた記憶」のようなものを体感することを、主な目的としています。
ここでいう家の記憶とは、その家の新築当時の施主や設計者の考えの痕跡などのほか、新築後の暮らしが始まってから今までの膨大な時間のなかで何度となく反復されつつ改善されてきた住人の痕跡のことを指してもいいかと思います。歴代住人が残した痕跡からは、さまざまなことが推測できます。例えば、床のすれ具合からは出入の多い家であったのか、家具や壁の肌触りの配慮、過去のにおいへの対応策、配色への気づかい、機能性に対するする柔軟性などといったことであったりします。
それらの家の記憶は、往々にして、長時間のヒアリングや詳しい要望書などからでも得られにくい、設計する上で有益な情報を得ることができます。「百聞は一見にしかず」というあれです。特に設計者としては、その場に身を置いてみないと体感できない俗に言う「気」のような、あいまいで数値化しにくい情報を、自らの身体にも記憶させることで、依頼主の理想とするイメージにより近づけることが可能だと考えるからです。
ところで、このような蓄積された暮らしの記憶のようなものは、家に限らず、いたるところで感じることができるかと思います。例えば、集落の人々によって大切に使用されてきた水場などには、昔の人々の暮らしを伝える濃密な記憶が蓄積されています。集落の神聖な水場としての管理具合、井戸端会議の主な場所となったであろう木陰状のコーナー、水汲みの作業によりツルツルとなった岩肌など、実際にその場に身をおいてみると、蓄積されてきた様々な暮らしの記憶を、自らの身体を介して感じることができると思います。
家の話にもどります。蓄積された家の記憶(痕跡)は、時間のなかで常に変容していく運命にあります。その痕跡が、住人の身体と感覚的に相性がいい場合には、その記憶は反復され、そうでない場合には改善されて記憶は書き換えられていきます。そして、このような住人の順応性により、住人がその家に身を置いて関係し続けている限りにおいて記憶の密度は増していきます。
設計時の理想としては、このように住人と家との関係性のなかで紡ぎだされていく記憶の変容や密度を予測していくことが求められます。人の記憶や感覚といったものに絶対的な基準はありませんが、普段の暮らしのなかで、身体と家との関係のなかで紡ぎだされ蓄積されていく濃密な場の記憶について意識的になってみると、豊かな住まいづくりや暮らしのヒントに繋がっていくものと思います。(T)

 

体感がヒント!(タイムス住宅新聞掲載)