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「快適さの目安など」

「快適さの目安など」

「快適さの目安など」

 あなたにとって「本当の快適さ」とは?
住宅産業や家電メーカーの宣伝コピーや設計事務所等の紹介文にありそうな言い回しですね。グーグル検索をかけてみると、その語句だけで6万件を超えていました。それらサイトにある文章を追っていくと、「本当の快適さ」という言葉とともに、「自然素材に囲まれた生活」、「エアコンのいらない家」、「地震にも安心な構造」、「環境にやさしい製品」、「飽きのこないつくり」などといった語句が平然と並んでいます。実際、本当の快適さとは、全ての人の生活にとってひとつの大きな目標であるわけで、ある意味、万能の言い回しなのかもしれません。
さて「快適さと」は、時と場所、また個人の価値も入り込むため、「本当の幸せ」などと同じように、とても曖昧模糊としたものですが、簡単にいうと「心身の気持ちよさ」となるかと思います。ここで、心の気持ちよさは人間の欲求の段階に応じて限りがないものと思うのですが、身体についてはその物理的な制約上、ある一定の目安があることがあることがわかります。
例えば、感覚器官や身体能力について、ある程度の個人差はありますが、快・不快の判断については人によって極端に異なるということはないと思います。住まいのなかで一般的に快適だと思われる場所に目を向けてみますと、植物に癒される庭、そよ風の通る家、便利な家電に囲まれたキッチンとリビング、バリアフリーな階段、ゆったり入れる浴槽のなか、程よい間接照明を設けた寝室などといった場所はどこも、身体にとって気持ちよく体感される場所として特に否定する人はいません。
ただ、快適であるという判断は、当然その逆があってのものだと思いますので、生活全体での、いろいろな快・不快が組み合わされたバランスのなかでの快適さがその目安となることは変わりません。変な例えですが、トイレや生ごみの臭いが全くしない生活は、何だかバランスを欠いたものといえるのではないでしょうか。
ところで、商品開発の分野では、近年その開発の大きな目標設定として、これまでの「快適な商品」の上をいく「感動的な商品」を生み出すことが重視されていると聞きます。モノが充足してしまった現代の消費社会で商品を買ってもらうための戦略なのだそうです。そういう意味では、商品という側面も無いとはいえない住宅でも同様に、「感動的な住宅」であることが、ひとつの大きなニーズとなっているのかもしれません。
さて、「感動的な住宅」とは何でしょう?堂々巡りになりそうですが、少なくとも生活の快適さが満たされた上で、住む人にとってのオリジナルな「何か」がプラスアルファされた住宅とでもいえるのかと思います。
「住宅にそんな感動はいらないよ」と言われればそれまでかもしれませんが、住宅の設計を任される側としては、快適さとともに、昔からそのプラスアルファに心血を注ぐことも大きな目標としているのだと思います。もちろん、前述したような快・不快のバランスも考慮しつつ。(T)

 

体感がヒント!(タイムス住宅新聞掲載)